潮風とベーコンサンドとヘミングウェイ

粋なタイトルに惹かれました。

家族に(半ば)見捨てられた老人と、家族を持ったことがない老人が、老人だらけの街に住む。
両極な二人はそれでも心を通わせて、激しくお互いを叱責もして、

まるで少年時代からやり直しているような友情です。



片方の老人が、大家の女性を半ば脅迫してハグ&胸を触るシーンで思い出したことがあります。





16才の夏、私は病院のベッドから一歩も動けない生活をしていました。
そこは死に行くのを待つ老人だらけの病院でした。
ちょっとした手違いで部屋が満床になり、数週間だけその病院で一番高価な一人部屋にお邪魔することになりました。
部屋の主は、痴呆の老女でした。
彼女の脈絡無く続く時系列も主題も無視した昔語りを上の空で聞く毎日でした。
16才の私にとって、人生はこれから始まり花開くもので、死に向かい日々を削らす老人の感覚が理解出来なかったのです。

ある日突然、老女はハッキリしました。
そしてだしぬけに泣きながら私に「寂しい」と言いました。
「死ぬだけなのが寂しい」
「忘れていくのが寂しい」
「沢山いる子供達も孫達も義務のようにたまに顔を出すだけなのが寂しい」
そして
「手を繋いでほしい」と言いました。

お互いベッドから精一杯手を伸ばし、努めて優しく手を握ると、信じられない強さで握り返してきました。
そして「忘れない」と言われました。

家族がいても。いるからこそ深くなる孤独があること。
自分を思う人がいるだけで孤独から救われること。
心の繋がりだけでなく、肌を触れ合わせて救われること。

いっぺんにわかった気がしました。
私は、悲しいというよりも、やりきれない気持ちでいっぱいになり、かける言葉が見つからず、ずっとずっと彼女の手を握っていました。


次の日、私は元の部屋に戻ることになり、老女に別れを告げました。
1ヶ月後、ようやく自分の足で歩けるようになった私は、母に頼んで買ってきてもらった花束とともに老女の部屋を訪れました。
でも、彼女は私を覚えていませんでした。
少女のようにはにかみながら「お花をありがとう」と笑った顔と、以前繋いだ手。あの時の涙。言葉。
だから、私が覚えているのです。それが「続く」ということのような気がします。



私は老人が主役の映画が好きです。
自分で、何故なのか不思議だったのですが、この映画を見て、彼女のことをゆっくり思い出して理由がわかった気がします。
老人が主役の映画には、とかく「死」というテーゼが付いてまわることが多いです。
死を迎えた時、死した友・家族の中に「続く」「汲む」者が居ることに安心するのです。
死ぬことは物理的にはジ・エンドだけど、残って続いていく何かがあることに救われているのかもしれません。
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by haruri66 | 2006-11-02 14:02 | Love Movies